HISTORY

私たちの歩み、それが歴史になる。

1990年代         森本組 創業以前

 森本組の歴史は、今より3代前の創業者森本敏雄に始まります。当初森本家は材木商を営んでおりました。近くの山から「パルプ」の原料となる木材を切り出して、木材卸問屋へと納める仕事を地域の若い衆を雇って業を成しておりました。山から切り出した木材を運搬するトラックの待つ集積場へ運ぶのに活躍したのが、当時林業で木材の運搬に使われていた索道(空中に渡したロープに吊り下げた輸送用機器に資材を乗せ、動力により遠くまで運搬する設備)でした。この索道を使って資材を運搬する技術が後の森本組の発展する礎となります。

1953年(昭和28年)        京都府南部 南山城水害発生

 昭和28年に発生した「南山城水害」により転機が訪れました。8月14日から16日にかけて雷を伴った激しい豪雨により記録的な大雨となり、近くを流れる木津川が氾濫し、山地崩壊や土砂流出によって南山城地方に甚大な被害をもたらしました。山が崩落などの被害があった為に林業が壊滅的になり、何よりも水害被害の復興作業がこの地域の課題として残されました。

(引用:京都府山城広域振興局 山城の災害記録(昭和28年))

1954年(昭和29年)        森本組の始まり(森本敏雄 個人創業

 まだそれほど建設業者が多くない時代に、復興工事を請け負っていた親類の建設会社より、被災地域の働き手として創業者が協力を依頼されお手伝いをしたのが土木建設業に携わるキッカケでした。

1955年以降             森本組 創業期(下請け企業として)

 創業の地は山間部に位置し、土砂災害を防止する為に砂防堰堤工事がよく発注されていました。当時はまだ今日のように機械化施工が発達しておらず、その中で林業で培った索道を用いての資機材の運搬が大いに重宝がられ、創業者である森本敏雄の「誠実さ」と若い人財によるマンパワーで順調に請負を伸ばしていきました。

 索道を中心とした機械による作業は山間部での工事に特に力を発揮し、関西電力の鉄塔建設工事などの仕事も舞い込み、福井県、奈良県吉野、兵庫県六甲などで着実に土木工事の実績を積んでまいりました。

 神武景気、岩戸景気と呼ばれる好況期にわが国経済は一気に高度成長への道を歩み、全国の建設投資をみても対前年比伸び率が24%から34%へと驚異的な成長を記録し、当社の受注環境にも好影響を及ぼした。
(この時期に、建設就業者数も年間50%の伸びを記録している)

1960年頃             最初の鉄道工事事業への参入

 当時の国鉄(日本国有鉄道)には、それぞれの地域に名義会社と呼ばれる指名業者がありました。当社の前を走る関西本線の工事においては同じ笠置町に本社を置く(株)仲川組様が国鉄の指名業者として鉄道工事を受注していました。当社は仲川組の下請会社として、受注した鉄道土木工事を一手に引き受け数々の構造物を施工してきました。
 これらの構造物を施工する際にも、当社の索道技術が効力を発揮しました。工事個所は山間(やまあい)を走る沿線が多く、物資を運ぶ道路とは大きな河川を挟んでいた為、資材等の運搬や特にコンクリート打設に威力を発揮しこれらの技術が現場関係者の皆様からも重宝がられておりました。

1964年(昭和39年)     森本組 建設業登録(元請けとしてのスタート)

 昭和39年には京都府の建設業登録業者となり、元請けとしてのスタートを切り、以来京都府南部の公共工事に携わることになります。

1974年(昭和49年)     株式会社森本組に組織変更

 株式会社森本組を設立 設立資本金1000万円
 初代代表取締役 森本敏雄 就任

1980年(昭和55年)     本社社屋完成 (新たなスタート)

 創業25周年事業として新社屋の建設に着手し落成
 創業の地を離れ、現在の場所に本社を移転する

1984年(昭和59年)     森本組 成長期

 創業30周年を迎える
 2代目代表取締役社長に森本喜代美 就任
 資本金を3000万円に増資

1986年(昭和61年)     2度目の転機 鉄道工事事業へ本格的参入

 会社が安定して発展してきた頃に2度目の転機がまたしても地域の災害により訪れました。昭和61年7月に発生した集中豪雨によってこの地域に局地的な土石流災害をもたらし、大動脈である国道163号線及び国鉄(当時)関西本線がいたる所で土砂崩壊災害により寸断され、交通がマヒ状態となりました。当時、京都府の指名業者として又国鉄工事の下請け業者として成長していた当社はいち早く国道163号線及び国鉄関西本線の災害応急に駆け付け、特に関西本線の災害復旧工事においては、学生や市民の日常の足でもあるので一日も早く公共交通機関である線路の復旧をねがい、昼夜を問わず復旧作業に尽力しました。

 当時、隣接工区で同じく災害復旧工事を行っていた大鉄工業様が当社の施工力を高く評価していただき、以来、国鉄が西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)へ民営化される時期と同じくして、大鉄工業(株)の協力会社として鉄道工事のお手伝いをする事になりました。

(引用:京都府山城広域振興局山城の災害記録(昭和61年))

1991年     資本金5000万円に増資

2004年(平成16年)     創業50周年を迎える

 3代目代表取締役社長に森本敏彦 就任
 鉄道工事グループ発足

 1998年より始まった政府建設投資額の減少に伴う競争激化により、公共工事のシェアが減少し相対的に鉄道工事の比率が高まる。今後の建設投資状況を鑑み、鉄道工事専門のスタッフによる鉄道工事グループを結成。

 主にJR西日本 東海道本線、奈良線の土木修繕工事に従事。専属スタッフにより一年を通して鉄道建設工事に携わる。大鉄工業株式会社様へ当社社員が出向する事により新たな協力関係を構築する。

 創業から50年を経て、これまで公共工事をメイン事業としながらも鉄道工事にも参入し森本組は歩み続けてまいりました。建設投資が低迷する中、鉄道工事部門への組織改革を行い建設不況と呼ばれる時代にあっても、工事の受注と労働力の確保に努め体制の維持を図りました。

2011年(平成23年)     新しい会社ロゴマーク

 企業価値の創造を目指し、コーポレート・アイデンティティプロジェクトの一環として
 新しいロゴマークを採択

  

コーポレートカラー : ネイビー

2014年(平成26年)     創業60周年を迎える

 4代目代表取締役社長に森本豊誠 就任
 競争激化により減少した公共工事部門の復活を目指し、各発注機関による公共工事の入札に積極的に参加する。
徐々に公共工事における受注も増え、シェアが回復すると共に売り上げが増加する。

 創業から70年、会社設立より50周年を経て森本組は「公共工事」「鉄道工事」の2つの柱を中心として今日まで歩み続けてまいりました。

 建設業界における課題は山積するものの、時代の流れに寄り添いながらこれからも進化していきたいと考えています。これまで2度の大きな災害を転機として発展してきた森本組は、地域の守り手として、また地域雇用の維持システムとして、これからも事業を継続していく事が私たちの使命であると考えています。
 これからの森本組にご期待ください。